エコ製品「鉄鋼スラグ」はエコか？
ーー原題「鉄鋼スラグ汚染」ってナンだ？−−

週刊プレイボーイ07年２月12日号

謎の土砂

　２００５年11月27日。瀬戸内海の小さな島に謎の土砂が運ばれてきた。
　愛媛県今治市からフェリーで30分の島、大島。その吉海町津倉地区の住宅地真ん前の1.6haの土地に、最終的には5万５０００�dにもなるほど、ダンプが連日土砂を運んできたのだ。
「いったい何じゃろう？」
　訝る住民のため、12月上旬、事業者「東部開発」が説明会を開いた。曰く「安全なエコ商品」「砂の代わりにコンクリートを作るもの」「一時保管所（ストックヤード）として搬入し、需要のある現場にその都度搬出する」と。
　持ち込まれたのは「鉄鋼スラグ」。製鉄の過程で出る鉱さいだ。加工することでコンクリートや路盤材に再利用できるので、国が定めたグリーン購入法（環境物品調達推進法）の特定調達品目にも指定されている。
　鉄鋼スラグは、近年の鉄鋼業界の好況に伴い発生量が増えている。神戸震災復興、神戸空港、中部国際空港などの大型公共工事でも大量使用された。

撤去直前までスラグの山は民家の数十m手前に迫っていた

　さて、業者の説明を信じた住民だが、すぐに生活に異変が現れた。まず、海のカキが口を開けて死んだ。ボラも死んで浮いてきた。搬入現場は、野鳥観察のメッカだったが、鳥も、メダカやカエルなどの小動物も姿を消した。
そして、住民の多くに健康被害。
「スラグからの粉塵がモウモウで、これはヘンだと思ううち、鼻呼吸できずに夜眠れなくなりました。医者が、埃の多い所で仕事してないかと尋ねたほどです」（自治会長の石井禮一さん）
「急に眼が痒くなり、咳や痰が途切れません。生まれてから一度も風邪ひいたことないのに」（上野キミエさん）
　搬入現場からほんの数十�bに住む村上朝一郎さん宅では、家庭菜園のスイカが育たなくなり、「夜目覚めると、このことしか考えられなくなる」ほど精神的に追い詰められた。
　鼻汁が真黄色になり止まらなくなった1歳の赤ちゃんもいた（街の親戚宅に避難させるとすぐに改善した）。


ｐｈ12.5！

　05年12月、住民は愛媛県に現場の水質検査を依頼する。すると驚いた。pH（ペーハー）12.5という生物の棲めない強アルカリ性が検出されたのだ。
　問題はここから。これだけの強アルカリ性物質は本来「特別管理産業廃棄物」として処理されるべきだ。だが県は動かなかった。なぜなら、鉄鋼スラグは「産廃」ではない。グリーン購入法の特定調達品であり、県の優良リサイクル材にも認定された「リサイクル品」であるからだ。この理由から、どの行政部署も議員も動かなかった。
　ただ一人動いたのが、環境保護市民団体「環瀬戸内海会議」代表でもあり、県会議員（無所属）の阿部悦子さんだ。
「3月に現場に行くと、どう見ても産廃だと驚きました。リサイクルを隠れ蓑にした産廃処分かと思いました」
　阿部さんはこの後数回、県議会で「産廃なのでは」と質問するが、県は一貫して「環境基準を満たした有価物」との見解を繰り返した。
　津倉住民がその県への不信感を深めたのは４月25日。阿部さんも同行し、住民13人が県庁を訪れ、スラグ撤去を要請する嘆願書を廃棄物対策課の岡本課長らに手渡した。同時に、目の前である実験をした。津倉で捕らえたドンコという魚が泳ぐバケツに、スラグのアルカリ水を少量注いだのだ。ドンコはほんの１〜２秒で死んだ。だが、ある職員はこう答えたーー「（ずっとバケツにいたから）酸欠を起こしたんでしょう」
「ふざけた答えです。住民への危険を理解しようともしない」（阿部さん）
　もちろん要請行動は第一歩だ。阿部さんは「口で危ないというだけではなく、それを科学的に証明しましょう」と、様々な行動を提案した。

取材時、ｐｈ１４を記録した	かつて地区一体にアルカリ池が出現した

重金属検出！　そして撤去へ

　5月1日、住民は、民間調査団体「環境監視研究所」の中地重晴さんを招き、現地の浸出水からの重金属検出検査を依頼。県が同じ日に数ヶ所を調査するため、同じ場所でのデータを信頼できる機関から得ようとしたのだ。
　さらに３日後、岡山大学大学院環境学研究科の津田敏秀教授の指導で住民の疫学健康調査が実施された。その結果、教授は「因果関係は明白。県は早急な健康影響調査を｣と結論づけた。加えて、6月13日には中地さんから驚くべき検査結果が届く。重金属のうち、総水銀が環境基準値の最高2倍、砒素5倍、鉛9倍が検出されたのである。
　翌14日、県と東部開発による住民説明会が開催されるだけに、これらの報告は大きかった。翌日の説明会で、東部開発は「住民合意なくして事業は成り立たない。スラグを撤去する。原状回復もする」と約束したのだ。

撤去のための調査開始。ショベルがこれだけ掘ってもまだスラグは取りきれなかった。

　その後は、県、業者、阿部さん、住民、学識者などが何度も会合をもち、具体的な撤去方法を話し合い、昨年12月、ようやく撤去が始まった。
　現場を訪れた私に、石井地区会長（前出）は、「一時はダメかと思っていたが、本当にここまでこぎつけて良かった」と安堵の表情を見せていた。
　だが業者が撤去に踏み切ったのは、スラグを危険と認めたからではない。現場には、東部開発の親会社、東方金属の社員が来ていたが、「スラグは安全」と強調した。では、なぜ撤去か？
「今回は土地選定に誤りがありました。スラグのアルカリ成分が中和されない土地だったのです」（同社のＮさん）
　アルカリ成分は通常は酸性土壌に吸着されて中和されるが、ここは、雨水が土中に浸透しない土地なのでアルカリ水が溜まったという説明だった。
　この説明に納得できない住民はいる。だが、東部開発と東方金属が住民の願いに従い撤去を決めたのは大いに評価できる。取材当日も、スラグ撤去に関する話し合いと試掘が行われたが、住民が紛糾することはなく、互いの柔らかな信頼感が漂っていた。廃棄物関連の問題解決では稀に見る光景である。

撤去に闘ってきた吉海の人々	撤去が始まることを喜ぶ阿部悦子県会議員（中央）

愛知県でも

　さて、阿部さんが表現した「リサイクルを隠れ蓑にした産廃」といえば、05年、東海地方を騒がせた「フェロシルト」がある。フェロシルトは、チタン鉱石からチタンを抽出したあとに残る鉱さいを加工し商品化したものだ。
　 これを三重県が、造成工事の埋め戻し材に使える「リサイクル商品」と認定すると、東海地方で、土地造成やストックヤードと称した不法投棄が相次いだ。だが、野積み現場から猛毒「六価クロム」が検出されると、製造元の石原産業（本社大阪）は「住民に心配をかけた」と全量撤去を表明した。
　ところが、ある町での住民説明会で、私が同社社員に「フェロシルトは安全か？」と質問すると、社員は「安全です。どこで六価クロムが混入したのか…」と答えた。ここまでの流れは、津倉での事例と似すぎている。
　その後、フェロシルトそのものの有毒性が明らかにされると、会社幹部が逮捕されるまで事態は発展した。
「そうなんです。フェロシルトとスラグは問題構造が酷似しているんです」
　こう語るのは、フェロシルト問題解決に尽力した、市民団体「ダイオキシン・処分場問題愛知ネットワーク」代表であり、愛知県愛西市会議員の吉川三津子さん。吉川さんは今、県西部で次々とスラグの野積みを確認している。

愛知県愛西市。市街地の中でスラグが野積みされいた。	フェンスの向こうにスラグの山がある。隣の田んぼが枯れた

　水路の近く、住宅地の近く、農地のなか…。深刻なのが、津島市の田んぼに積まれたスラグだ。その浸出水は隣の田んぼの稲を枯らした。この件を、愛知県海部農林水産事務所の南谷(なや)農政課主管が覚えていた。
「一昨年、地元農業団体から『田んぼに変な工事で土砂が積まれている』と連絡ありました。その田んぼ、地権者が業者に貸していたのですが、農業以外の用途を認めない農地法に違反だったので、業者には何度も工事中止を要請しました。でも従わないので、ウチの所長が刑事告発しました」
調査中なのか、その後、警察からの連絡はないというが、南谷さんらが枯れた稲を調べてみると、塩分（ナトリウム）が異常に多く検出されたという。
　吉川さんは県に、産廃ではないのかと問い質しているが、愛知県資源循環推進室は愛媛県同様、「産廃ではなく商品」との見解を示している。


全国的な問題か？

　阿部さんの元には、各地の鉄鋼スラグ情報が集まっている。愛媛県松山市では、住宅地前での野積みが確認された。愛媛県西条市では、ストックヤード計画が浮上したが、住民の反対署名で撤回された。岡山県では、県水産課の「人口干潟造成事業」計画での路盤造成にスラグ使用が検討されたが、漁協が反対した。
　04年には、ＪＦＥスチール（旧川崎製鉄）が、千葉市でスラグからの高アルカリ水を東京湾に流し、白く濁った海水を海上保安庁に発見され、長年、排水データを改ざんして千葉県に報告したことが明らかになった。
　こういう事例のなか、特筆すべきは、香川県の例である。
一昨年、香川の離島、小豆島に鉄鋼スラグが搬入されたのを住民が確認し、すぐに県に連絡を入れた。香川県廃棄物対策課の中村課長補佐がこのときのことを話してくれた。
「搬入業者がいわくつきだったので、ヘンなモノだったら自然環境は取り返しがつかなくなると、すぐ業者に会いに行きました。業者は、やれグリーン購入法とか安全とか説明しましたよ。でも何よりも、そのモノに取引の有償性を証明する書類がない限り、県ではそれを『産廃』とみなします。書類提出を求めると、なかったんでしょう、業者は２日後に自主撤去しました」
　産廃問題で揺れた同県の豊島(てしま)での教訓もあるのだろう。環境と生活を守るとの、迅速で毅然たる対応は、「スラグは有用なリサイクル品」とのマニュアル回答しかしない他県が見習うべきだ。

　とはいえ、フェロシルトと違い、鉄鋼スラグそのものを危険とは断定できない。同時に、まったく安全とも言い切れない。一つだけ言えるのは、特定の場所だけの問題だとしても、津倉や津島市のような問題はいつどこでも起きる可能性があることだ。
　昨年、日本の粗鋼生産は１億１６００万�dと史上３番目の好況を呈し、それに伴い鉄鋼スラグも約４０００万�dと大量に排出されている。
　この好況は、日本国内での需要増、そして諸外国への輸出で支えられている。その輸入元の大口は、韓国、タイ、台湾、そして、今や世界の3割以上の鉄鋼生産をする中国での需要だ。
　たとえば、中国への鉄鋼輸出は96年の254万�dから05年は555万�dに増加。06年の11月だけでも56万�dと、6ヶ月連続の輸出増を記録した。中国での自動車や家電の生産増、パイプライン建設、北京オリンピックなどは鉄の生産増を促す材料だ。

吉川三津子・愛西市会議員。鉄鋼スラグの山の前で

　今後も増加が予想される鉄鋼スラグの発生。それはグリーン購入法に乗っかり商品として各地に流通する。
　吉川さんは、「廃棄物の定義を今こそはっきりさせたい。少なくとも、すべての鉱さいは管理型処分場にもっていくべきです」と主張する。
　鉄鋼スラグがそうだとは断定はできない。だが、フェロシルトの他にも、リサイクルの名の元に流通する産廃はあるはずだ。愛媛や愛知での事例は、そのことを考えさせてくれる。

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