危うし！　内部告発

週刊プレイボーイ０４年６月１５日号

経営者の内部告発はダメ！

「この法案では救われんわ」
　水谷洋一さん（50）は、内部告発者を不当な扱いから守ることを目的とする「公益通報者保護法案」を一読してそう思った。ここ数年、内部告発により企業犯罪が次々と顕わにされているが、水谷さんは、内部告発をしたがために地獄を見てきた。その当人が、なぜ法案に期待をしないのか。
　２００１年10月、水谷さんが社長を務める冷凍会社、西宮冷蔵（兵庫県西宮市）で事件は起きた。取引先の雪印食品の社員が、西宮冷蔵の倉庫で、輸入牛肉14㌧を和牛表示の段ボールに詰め替えたのだ。当時の狂牛病騒ぎで、国は国産牛肉の焼却処分を打ち出していたが、それら牛肉が国費で買上げられることに目をつけた犯罪行為だった。
詰め替え時に、雪印は伝票改ざんを西宮冷蔵に命じ、約１５００万円の不当利益を得た。水谷さんは、その正義感から02年1月に事実を朝日と毎日新聞に告発。これにより、雪印の組織ぐるみの犯罪が明らかになったのだ。
すると不思議なことが起こる。取引先が続々と離れていったのだ。さらに、国土交通省神戸運輸管理部が、伝票改ざんが倉庫業法違反として「７日間の営業停止」を科してきた。水谷さんは担当官に噛みついた。
「伝票は、雪印の高圧的指示で作らされたんや。こんな理不尽な扱いはない！」
　水谷さんは処分撤回を求める街頭署名も始めるが、この処分の影響か、取引先の数が３割にまで減るに至ると、11月、約20人の社員を解雇し、操業を停止した。
「あとは息子と日雇いでもして生きていこうと諦めました」
　明日の米を心配する生活に陥り、電気も止まる。だが、地元消費者団体の「今、西宮冷蔵が潰されたら、誰も内部告発をびびってできんようになる。やめんといて！」の声に、水谷さんは奮い立った。
そして、営業再開のために大阪駅前でのカンパ活動が始まり、今年2月、その額900万円に達し、ついに3月、倉庫に電気が点った。
　まさにド根性の復活劇。しかし、この復活に合わせたかのように国会に提出された法案は、今後同じような告発をしても水谷さんを保護しない。なぜなら、公益通報できる「労働者」とは「従業員」を意味するのであり、「経営者」は除外される。また、労働者であっても、下請け業者も対象外。
「『誰でも』『いつでも』『どこにでも』通報できるのが本筋やのに、『誰でも』やないんやね、この法律は」（水谷さん）


３０年間の窓際生活

　水谷さんを応援する一人、串岡弘昭さん（57）は、これらいきさつに憤りを隠さない。
「国は水谷さんのお陰で、税金の流出を食い止めました。ならば西宮冷蔵に損失補てんや表彰をしてあげるべきなのに、逆に営業停止に追い込んだとは本当に残酷です」
　串岡さんはトナミ運輸㈱（富山県）社員。同社が大手運輸会社とヤミカルテルを結び、高額運賃で暴利をむさぼり、零細運輸会社を苦しめていたことに心を痛め、30年前、読売新聞に「独占禁止法だ」と内部告発をした。しかしヤミカルテルは続いたので、その後も、公正取引委員会、国会、運輸省、東京地検と５回もの内部告発を続けた。
　その代償は大きかった。告発時の主任補を最後に昇進は止まり、現在も月給は手取り約20万円という冷遇が続いている。職場も営業から教育研修所に回され、8時半から17時半まで何の仕事も与えられず過ごす屈辱の日々。たまに、研修時の皿洗いや蒲団の上げ下ろしをする程度だ。
「会社は何度も僕を辞めさせようとしました。76年には、役員が『今日こそ決着をつける』と自宅に乗り込み、妻や両親も巻き込み朝4時まで辞職を迫りました。でも、僕には辞める理由がない。理不尽なことには絶対に折れません」
　子どもたちが大学卒業するのを待って、串岡さんは、02年1月に会社を相手取っての損害賠償裁判を起こした。
「内部告発したことでの実態を世間に訴え、企業に二度と労働者を差別しない認識をもってもらいたいんです」
　さて、串岡さんが再度同じケースを告発した場合、法案で保護されるのだろうか？　串岡さんは首を振った。
「独禁法違反を法案が扱うかは微妙です」
調べてみると、法案が対象とする「犯罪行為」とはわずかに７つ（表2）！　その他の法律は、必要ならば本法が施行される2年後までに政令で定めるとの記述しかない。
「仮に保護対象になっても、法案では告発者への解雇、降格、減給などを禁じてますが、僕を見てください。それらの処置はないものの、昇格も昇給も仕事も28年間ないんです。こういう冷遇を法律はカバーしません。一番不満なのは、告発者を冷遇する法の違反者への罰則がないことです」


制限の多すぎる法案

　そう言われて法案を改めて読むと、疑問点が次々と出てきた。その一つが、解雇が無効とされるための条件だ。職場では、犯罪行為があることを「思慮する」だけでいいのに対し、行政や外部（マスコミや消費者団体など）への場合は「相当の理由がある場合」が条件となっている。意味がわからない。内閣府国民生活局消費者調整課の爲藤氏に尋ねてみた。
――思慮するって何ですか？
「自分が『変だぞ』と思えばいいレベルですね」
――では、相当の理由がある場合とは？
「自分が気づいた犯罪事実を証明できるかどうかです」
――物証ということですか。それがないと、思慮だけでは保護されないんですね。
「そういうことになります」
　つまり、職場では「課長、あれおかしいですよ」と訴えたことで調査が始まっても解雇されないのに対し、物証がないまま行政や外部に告発した結果、解雇されても文句は言えないということだ。

　ここで、シミュレーションをしながら、法案を見てみよう。職場は原発。労働者はＡ君。告発先は行政。
　Ａ君はある日、施設にヒビを発見。電力会社はその隠蔽に躍起だ。カメラが持ち込めないため撮影は無理。明日にも起こりうる放射能漏れを怖れ、Ａ君は文部科学省に匿名の電話をした。そして査察が入ったはいいが、告発がばれ、Ａ君はクビになった。
　なぜなら、緊急的なヒビ割れではないとの査察結果が出たからだ。なんと法案では、すべての告発は「その事実が生じているか、まさに生じようとしている」緊急状態しか認めていない！　つまり、数ヶ月前からの危険性の告発や、放射能漏れが起こった後での告発は対象外になる。
　仮に緊急と認められても、物証がないため、いずれにしてもＡ君はクビを免れない。
　ちなみに、行政への告発の恐さは匿名が保証されないことだ。例えば、02年９月、東京電力の原発の点検を請け負った労働者が匿名希望でヒビ割れを告発すると、通報を受けた旧通産省は実名を東電側に伝えてしまったのだ。
「企業と行政の癒着への不信感の強い今、行政への告発は、多くの人が躊躇しますよ。行政は秘匿にすべきを公にし、公にすべきを隠してしまいます」（串岡さん）
そして、行政への告発よりさらに条件のきついのが、マスコミや消費者団体など外部機関への告発である。
同じシミュレーション。
　Ａ君はまず上司にヒビを告発。だが上司は動かない。やむなく、Ａ君は3日後、盗撮したヒビ写真をＷＰＢにもちこむ。そのスクープ報道に原発は止まったが、Ａ君はクビ。というのは、職場に告発して対応がない場合は外部通報できるが、それには20日間待たねばならないからだ（！）。
　もちろん、初めからＷＰＢに告発できる。だがその場合、クビにならずに済むのは、職場での証拠隠滅や告発後の冷遇があるであろうことを証明しなければならない‥。これは無理に等しい。
　このややこしさ。この法案は、水谷さんが求める『いつでも』『どこにでも』通報できる制度ではない。マスコミ対策としか思えない。


自民党に寄り添った法案

「そうですね。法案は初期から比べると後退しました」
少し悔しそうに話すのは、消費者団体「日本消費者生活アドバイザー・コンサルタント協会」の宮本一子さん。
　宮本さんは、長年、内部告発相談を受けてきたことから、内閣府が設置した公益通報者保護制度検討委員会で、昨年、法案を検討する５回の審議に参加した。だが、意見は反映されなかったと言う。
　例えば、森ビルの回転ドア事件が再発するとする。しかし、回転ドアには安全基準がない。即ち、法律がない以上違法行為には当たらないので、それを告発する社員は告発後に冷遇されるかもしれない。
「つまり、事故の未然防止のためには、違法でなくても安全を脅かす事態も法案に盛り込んでほしかったんです」
　なぜ法案は後退したのか。
「結局、法案の成立は自民党次第なので、内閣府は自民党に歩み寄りましたね」
　と言うのは、民主党の桜井充参議院議員。桜井議員中心に、民主党は公益通報に関する独自法案を作った。行政運営についての告発に限っているが、告発できるのは「国民」と政府案より入口は広い。
「内部告発は、自分では無理なので、他者にその解決を委ねるまっとうな手段です。だが、自民党長老には『内部告発は密告社会を作る』とのイメージがあるんです」(桜井議員)
　内閣府が昨年末に法案作成したあと、自民党では「告発の対象が漠然だ」と、当初対象にされた「犯罪行為」489を７つにまで減らし、告発に「緊急のみ」の条件を入れようとの意見が出た。内閣府はこの声に「配慮」して修正法案を３月に国会提出した。
ある関係者はこう言った。「これでは、金をばらまき当選した議員がいても、公職選挙違反法も法案では対象外にされたから、誰もがびびって告発できない。結局、自民党に都合よくできた法案ですね」
　

正直者がバカを見ないよう

　もちろん、法案で保護される例も期待できる。
　数年前、厚労省職員Ｂさんは、勤務する障害者施設での、職員による利用者への暴行やレイプを上司に訴えた。だが取り合ってもらえず、行政に通報。すると、上司への暴力を働いたとのデマ情報で人事院から解雇された。だが、Ｂさんは関係者が書いた暴行の記録をもっている。つまり、法律施行後は、Ｂさんのような人は解雇を免れる。
「そういう例も期待できるので、とりあえず半歩前進」
　と評価しながらも、宮本さんは、法の施行５年後、法の見直し作業での、保護される告発者の拡大を睨んでいる。
　串岡さんはこう語る。
「間違いには『違う』と声をあげるのが労働者の姿だし、その声を『よく言った』と歓迎すべきが企業です。そういう企業倫理と保護法とがセットであるべきですが、内部告発を密告とする倫理なき企業では、私のような人間をいやいや保護するだけで職場関係は最悪になります。告発者が置かれるそういう精神的現状に法案はあまりに即しません」
　内部告発をすれば「正直者はバカを見る」だけなのか。水谷さんや串岡さんや多くの告発者が舐めてきた辛酸はもう終わりにしなければならない。

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